第29回 積み重なるもの


こんにちは。

子供の頃、

”とうとう気温が上昇して体温くらいになるらしい”

って、子供の頃に同級生と騒いだ事を思い出し中の ひろろん店長です(汗)

最高気温38度超えって何・・・?
体温くらいっていうか、高熱です・・・・。
高熱といえば、水分補給!
これ、鉄則です!
みなさま、どうぞ水分補給を忘れずに!!

そんなこんなですが今回のコラムは、暑さとは全く関係のないお話です(笑)

以前、当コラムで

”昔できたことだから、いまでもその気になれば出来る”

なんて思っていたら、すっかりできなくなっているものですよという話を少ししました。

子供の頃に100Mを14秒そこそこで走れた過去を持つ人でも、毎日特に運動もせず大人になってしまえば、そんな速さで走れるわけがありません。

その時はどちらかといえば、能力維持の話だったわけですが、実際に今、あなたが出来る事は、どうしてできるようになったのかを考えた場合、それは、今までの行動の積み重ねによる結果だという事がわかります。

それは別に

”最初は出来なかったけどすごくがんばって練習したから出来るようになった”

というような意識的に努力した事だけではなくて、たとえば、言葉を話すとか、歩くとか、あるいは歌を歌うとか、本人が習得するのにあまり努力した覚えのないようなものも含めての事です。

そして、先の話のように、それら一度習得した能力も、しばらくその動作から離れて生活していると、次第に衰え、最後には、”出来ない事”のリストに並べられていってしまう事になります。

逆にいえば、”何か”が出来る人は、すなわちその何かを出来るようになるまで努力したことがあり、且つ、最低限、できなくならない程度には、日ごろからそれを維持できるだけのその何かを実践しているという事に他なりません。

こうして書くとあたりまえの事ですよね?(笑)

でも、これはつまるところ、出来る事を増やしていくためには、新しい事を習得するための努力をしつつ、過去にできるようになった能力全てを最低限維持できる程度には、日ごろの生活の中で使いつづけなくてはいけないという事です。

努力の結果は積み重なるものの、それはただ蓄積するものではなく、時間の経過や老化とともに失われるという事なんです。

という事は、ただひたすらにできる事を増やし続けるなんてことは、自分のキャパシティ(能力を蓄えられる最大容量)をオーバーした時点から不可能になってしまいます。

ではそのキャパシティは、どうやって決まっていくのか。
それは、いわゆる若い時にどれだけそうした新しい事を吸収していく努力をしたかによって大きく変わるのだろうと思っています。

若いころのキャパシティは、のびる素材で出来たの袋ようなもの。
いろんなものをつめこんでいけばどんどん伸びて大きく膨らむことができます。

でも、歳をとるにつれ、この袋の素材は硬化してしまって伸びる事ができなくなります。

気が付けば、以前あたりまえにできた事が出来なくなっていく。
これはとても寂しいことです。
簡単にできた事が簡単でなくなり、それをするために思い切りや、覚悟がいるようになり、チャレンジすることに億劫になっていきます。
でも、そこでチャレンジしなければ、次の機会にはできなくなってしまっています。

普段自分で使う事のない能力を使ったチャレンジの機会というのは、多くの場合、身のまわりの誰かによってもたらされます。

それは、親しい友人や恋人、家族からの贈りものだと思ってください。

人間、年々、いろんなことが面倒になり腰が重くなってきます。

でも、億劫だと感じる間はまだチャレンジできるんです。
そして、何度かチャレンジしているうち、ある程度まではまた普通にできるようになっていくんです。

まだ学生でいる君たち、なにかにつけ「面倒くさい」「めんどい」とつぶやいてませんか?

今の時点でそこで動けなければ、キャパシティは小さくまとまり、10年先に出来る事も・・・(汗)

どんなに努力しつづけて得られないもの。

だからこそ、昔から多くの物語や研究テーマとしてとりあげられてきたのです。

”永遠の若さ”、”若返り”、あるいは、”不老不死”

今、学生の君たちは、いまだけは、そんな夢物語を意識する必要もない ”真実の若さ” を持っています。

今もし、一日つぶやく「面倒くさい」のセリフを半分にできたなら、きっと今より少し素敵な未来へのレールが敷かれると思いますよ。