第16回 「怒り」はコントロールできるか?


みなさん、こんにちは。
このたび、漸く「コスプレイャ」という職業があるコトを知ったshimanyです。

さて、日頃から、職場の同僚に、

「もしかして、カルシウム不足ですか?」

と聞かれるくらい、怒りっぽいのを自覚しているボクですが(苦笑)、そうは言っても、普通、「怒り」というと、外部からの”刺激”に反応して否応なく起きてしまう感情なので、自分ではどうしようもないモノだと思っていませんか?

しかし、少し前に、日本に「アドラー心理学」ブームを巻き起こしたベストセラ『嫌われる勇気』(岸見 一郎、古賀 史健/著)によると、人間は、そのように、いわば”受動的に”怒っているのではなく、ある目的によって、「自分が怒りたいから怒る」のだそうです。

いやいやいや、そんなはずはないやろう!オレは、相手の態度や言動で、ムリから怒らされとんネン!と思わず関西弁で怒ってしまいますが(笑)、その本で出されていた例を見て、思わず唸ってしまいました。

そこで出されていた例というのは、母親とムスメが大声を上げてケンカしていたトコロに、電話がかかってきたというのです。
母親は、まだ、怒りを含んだ口調で受話器を取ったのですが、その電話の相手がムスメの担任教師だと分かった瞬間、声色が優しく、丁寧なモノになります。
で、5分程普通にしゃべり、その電話が終わって受話器を置いた瞬間、母親はまた、先程と同じテンションの怒りでムスメに怒鳴り始めたというのです。

う〜む……あり過ぎ(笑)。

実に見事な例ですが、もちろん、自分にも同じようなコトは多々ありますし、他でも、似たような例はいくらでもありそうです。
そう考えると、確かに、怒りは「出し入れ自由」な感情のようです。

確かに、過去に自分が怒ってしまった例を振り返ってみれば、大抵の場合は、怒りというカタチをとらず、穏やかに対応するコトは可能だったと思います。

というか、そもそも怒る場面というのは、究極的には、自分(の主張)が通らない時だと思うので、だったら、まずは、しっかりと理由や道理を相手に説明し、自分の主張や、やりたいコトを納得してもらうよう丁寧に話す方が目的は達成しやすいはずです。

しかし、そうしないのは、怒らないで対応するのが、手間がかかったり、面倒くさかったり、場合によっては、なぜか「負け」と思ったり、相手に屈服するように感じてしまうからではないでしょうか。

……やはり、考え方自体に問題がありますね(笑)。

そこには、中途半端なプライドや沽券(同じ?)といった、ある意味、どうでもいいモノが潜んでいるようです。
事実、何ごとについても怒らないヒトというのは、我々とは違い(ボクだけ?(笑))、もっと自分に対して、確固たる自信があるように見えます。

いずれにしても、やはり、人間は怒りたいから怒っているのです。

それは、上述したように、怒るコトによってなんらかの目的(相手に言うコトを聞かせよう等)を達成しようとする場合もありますが、もっとやっかいなのは、怒り自体に、ある種の”キモチよさ”があるコトです(怒りは負の感情だと思われますが、あえて”怒りにいく”場合もあるコトを考えると、やはり、そこに一種の”快楽”があるのは否定できないと思います)。

『怒らないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ/著)という本は、怒りに対する大変多くの示唆に富む本で、初めて読んだ時はかなり衝撃を受けましたが、その中には、ハッキリ「怒るのはバカのすることだ」「怒るのは徹底的に無知な人だ」「『私は怒りました』などというのは、『私はバカです』と触れ回るようなものです」と書かれています(笑)。

とにかく、その本にも書かれているとおり、「怒るということは、自分で自分を燃やし始めたということ」なのです。
少なくとも、怒りは自分の心がけ一つで出し入れ自由な感情だというコトは、肝に銘じておきたいトコロです。

ところで、一方の我が家族。

学童保育の先生によると、ムスコは、同級生の女のコ達から、

「Kくんは、どうして、いつもそんなに穏やかでいられるの?」

と聞かれているそうですし、また、ヨメに関しては、職場でしょっちゅう、

「どうしてSさんは、そんなに怒らないの?」

と褒められているそうです。

実に羨ましい限りですが、できれば、ぜひ、それを、家庭内でも……