第11回 「逆」から考える


みなさん、こんにちは。
最近のAKBを見るたびに、「卒業って、通常、元の場所には戻らないコトじゃ……」と、ごく普通の部分で混乱してしまうshimanyです。

さて、小学校5年生の時だったと思うのですが、理科の公開授業というモノがありました。
これは、理科室でやる我々の授業を、他の学校も含めた大勢の先生が見学し、それをモトに、あとでウチの担任に対し、あれこれダメ出し(笑)するというモノです。

で、その時の課題が、

「水と食塩水では、どちらが重いか?」

を、実験で確認するというモノでした。

クラスを6グループぐらいに分け、それぞれのテーブルに、少し大きめの水槽と、ヤクルトの容器のようなモノと食塩が与えられ、グループで相談し、それを使って実証しろという訳です。

で、今とは違って(笑)仕切り屋だった当時のボクは、

「水を入れたヤクルトの容器を水槽に入れて、水槽の水に塩を溶かし容器が浮かんだら、塩水の方が重いってコトじゃん!」

と思い立ち、早速、水槽の水にジャンジャン塩を入れ始めました。

……しかし、ヤクルト容器は全く浮いてくれません。

おそらく、中の容器に対して水槽の水が多過ぎて、食塩水の濃度がほとんど上がらず、思ったような効果が出なかったのです。

そこで、提案した手前、焦ったボクが、さらに大量の塩を入れようとしたトコロを見かねて、見学していた先生が、こう言いました。

「なにも、周りの水に塩を入れなくても、ヤクルトの容器の方に塩を溶かして、それが沈んだら、いいんじゃないの?」

……あまりの衝撃に、ボクは、「いないはずの先生がアドヴァイスしていいのか?」という当然の疑問も忘れ(笑)、しばし、コトバを失いました。

その発想はなかったわと。
これが、「逆転の発想」かと。

そして、これが「教育」かと。
まぁ、そうは思いませんでしたが(笑)、とにかく、今でもその時のコトをハッキリ覚えているくらい、ボクにとっては非常に強烈なできゴトでした。

似たような例は、他にもあります。

たとえば、日本人なら、夏は裸足で畳の上を歩きたいと思いますが(断言)、実際には、現代の日本家屋ではなかなか畳は敷けませんし、さらに、ずっと畳を感じていたければ、部屋の全面を畳にしなければなりません。

そこでなのですが、みなさん、無印の「畳スリッパ」をご存知でしょうか?
これは、スリッパの、足の裏と接触する面が、畳の素材になっているのです。

そうなのです。
つまり、ずっと畳を感じたいと思っても、なにも、部屋全体が畳である必要はなく、結局、足の裏だけが常に畳に触れていればよいのです。

また、ウチでフロの浴槽の掃除をしようとしていた時のコトです。

CM等で、浴槽に直接洗剤を噴きかけて掃除をするシーンを見慣れているので、当初はそうしていたのですが、実際には、どうも洗剤が多く残ったり、逆に、足りなかったりするコトが続きました。

で、これも、ある日、気が付きました。
浴槽の方ではなく、スポンジ側に洗剤をつければよいのだと。
これによって、かなりムダが省けるようになりました。

このように、ごく普通に考えれば多大なコストがかかる事案も、物事を逆から捉え、本当に必要な部分だけからアプローチすれば、途端に少ない労力で解決できるようになります。
小学生の時にこのコトを学んでから、これまでの人生で、何度かこの考え方に助けられました。

……まぁ、フロ掃除の効率化くらいですが(笑)。

で、今考えているのが、日頃の仕事についてです。

大抵、どんな仕事も、顧客や同僚から、突然の要求や相談や指示が常に入り、しかも、その頻度がかなり高いモノです。

そうすると、そのたびに作業が中断され、せっかく立てていた予定やだんどりは崩れ、さらに、そうやって中途半端にしか終わっていない仕事の上に、どんどん新しい仕事が上積みされていき、混乱するばかりで、非効率この上ありません。

それらを、全て普通に受け止めて真正面から対応していくのは、いわば、畳みを感じるために、家の中にくまなく畳を敷くようなモノです。
どうにかアプローチを逆転し、この状況を一気に解決できないか!?

……発想は間違っていないと思うのですが、そこで、ボクの思考は、塩水の入ったヤクルト容器のように沈んでいくのです……