第9回 あなたは「いいヒト」ですか?


みなさん、こんにちは。
電車や映画館……どころか、オフィス内で普通にタバコを吸えていた時代を知っているshimanyです。

さて、みなさんは、周りのヒトから、「いいヒト」だと言われたり、思われたりしたいでしょうか?
「あたりまえだろう!」とお叱りを受けそうですが、ボクは以前から、どうもこの「いいヒトと思われたい願望」に、大いに疑問をもっています。

と言っても、個人的に、ヒト知れず「いい人間でいよう」「いい人間でありたい」と思い、密かにそのための実践をしたり、努力をするコトは非常に尊いコトだと思います。
そうではなく、ここで問題としたいのは、単に、他人から「あのヒトはいいヒトだ」と言われるために、ムリやガマンをしてまで自分の行動を修正する場合のコト。

そうですねぇ、たとえば……最後の1個の唐揚げを食べないとか(笑)。

もちろん、わざわざ「ワルいヒト」と思われる必要はありませんし、「好感度」がその職業の本質である芸能人の場合は別でしょうが、一般のヒトの場合、超食べたい唐揚げをガマンしてまで「いいヒト」だと思われる必要は、どこにあるでしょう?

普段から「いいヒト」だと思われていれば、何かあった時に助けてもらいやすくなるという面はあるかもしれません。
しかし、ボクのように全くそう思われていなくても、普通、明らかに困っていれば、大抵、周りのヒトは助けてくれます(単に、めちゃくちゃ恵まれた職場にいるだけかもしれませんが)。

あとは……何でしょう……
「いいヒト」と言われたら、ちょっとキブンがいいとか?(笑)

確かに、「いいヒト」と言われるのは、ウレしいモノです。
しかし、常に「いいヒト」だと思われていると、周りからは、いいコトをするのがあたりまえと思われるようになります。

かつて職場で、内面は全く違うのですが、表面的には割とコワモテな職員さんがいました。

そのヒトが、他の職員さんに、なんかちょっと優しい行為(ドアを開けてあげたり)をすると、

「うわぁ~Kさん、やさしぃ~」

と言われていました。

しかし、逆に、普段からいいヒトだと思われていると、たとえ、Kさんと同じコトをしても、特に評価されるコトはありません。
それどころか、たまにそれができなければ、本来は、単にプラマイゼロの状態のはずなのに、

「え~あんなヒトだと思わなかった」

と、なぜかマイナスの評価になってしまいます。

つまり、ムリをしてまで「いいヒト」と思われるコトに、積極的な意味はないと思うのです。

そもそも、「いい」というのは、その対象の絶対的な価値を言っている訳ではありません。
そうではななく、その対象が、あくまでもそれを言っているヒトにとって好ましいか、都合がよいかを言っているに過ぎません。

それが証拠に、「いい本だ」「いい曲だ」「いい映画だ」という評価には、大抵、全く反対の評価がつきモノです。
(「いい」というのが絶対的な評価であれば、そんなコトはありません)

なので、大抵、「あのヒトは、いいヒトだよね~」と言う場合は、意識するかどうかは別にして、「あのヒトは、自分にとって都合が良い」とか、「あのヒトは自分の言うコトによく従ってくれる」と標榜しているに過ぎません(典型的なのが、子どもに対する「いいコ」という評価かもしれません)。

なので、他人から「いいヒト」と言われるためには、相手の気にいるように自分の側をコントロールしなければなりません。
それが、ラクだったり、楽しかったりするはずがありません。

曽野 綾子さんに、その名も『「いい人」をやめると楽になる』という本がありますが、こういう構造ならば、それはむしろ当然です(実際には読んでいないので、全く違う内容かもしれませんが……)。

「いいヒト」と思われたいというのは、そもそもその理由を考えるコト自体がおかしい、自明の価値だと言われるかもしれません。
しかし、実際、こう考える人間もいる訳です(笑)。
この件に限らず、普段、「あたりまえ」だと思っているけど、なぜか、息苦しかったり、心地が悪いコトがあれば、一度、それを根底から疑ってみると、意外と簡単にラクになる方法が見つかるかもしれません。

どんなにガンバったって、自分以外のヒトの思うコトや言うコトは、一切コントロールできないのです。

……だったら?(笑)