第8回 「幸せになる」とは?


みなさん、こんにちは。
御年70歳の方が何の違和感もなく仮面ライダを演じていてるコトに、日本の超高齢化社会に一筋の光明を見るshimanyです。

さて、みなさん、突然ですが、ある日、身近なヒトに、

「あなたは、今、幸せですか?」

と聞かれたら、どう答えますか?

もちろん、中には、「ええ、超最高に幸せです!」と胸を張って答えられるヒトもいるでしょうが(イメージとしては、松岡修造さん)、ボクも含め、大半のヒトがそうではないように思います。

他人に向かって、ハッキリと「自分は幸せだ!」と言うのは、なんか、窮屈、というか、居心地が悪い。
また、他人から「あなたは幸せで、いいですね」と言われると、本来、喜ぶべきコトのはずなのに、なぜか「全然そんなコトないよ!」と否定してしまう……どころか、場合によっては、キレてしまう(笑)。

では、実際、幸せでないかというと、決して、そんなコトはありません。

少なくとも自分を振り返ってみると、当面、追い出される心配のない家に住み、毎日、おいしくご飯を食べられている。
ムスコは毎日元気で、今のトコロ口答えもしない素直さをもち、ムスメは、昼間は笑いながら飛び跳ね、夜はベッドで「とぉちゃん、手ぇつないで寝よ~」と言ってくれる。

……幸せそのモノじゃないですか(笑)。

こうやって改めて振り返ってみると、自分は(そして、おそらくみなさんも)とんでもなく恵まれているし、感謝すべきコトがたくさんある環境にいると思います。
つまり、それをもって「幸せ」と言ってもいいはずです。

なのに、なぜ「幸せか?」と聞かれると、そういった満たされた面ではなく、「仕事上でストレスがあって……」とか、「自分の時間がなくて……」とか、どうにか「幸せでない」部分を見つけようとしてしまうのでしょうか?

一方、今度は質問を変え、

「あなたは幸せになりたいですか?」

と聞かれたら、おそらくほとんどのヒトが即答で、

「幸せになりたいに決まってるじゃないですか!」

と、自信満々に答えると思います(笑)。

つまり、多くのヒトが、「自分は幸せだ」と思うのではなく、「幸せになってみたい!」と強く願っているのです。

さとうみつろうさんの『神さまとのおしゃべり』という本は、ボクにとってとても斬新な内容でしたが、その中でも特に、

「全ての自分の願いは、既にかなっている」

という考え方に非常に衝撃を受けました。

……といっても、到底にわかには信じがたいと思うので、実際に本を読んでいただきたいと思うのですが(笑)、とにかく、その考え方にのっとれば、「幸せになりたい!」と願っているうちは、ずっと「幸せでない」状態でありつづけるというのです。
なぜなら、「幸せになりたい」と願うためには、「幸せでない」必要があるからです(本の中には、総理大臣には、「総理大臣になりたい!」という願いゴトはできないという例が出てきます)。

つまり、「幸せになりたい」という願いをかなえるためには、どうにかして、自分が「幸せではない」証拠を見つけなくてはいけません。

……なんか、おかしいですね(笑)。

上記したように、しっかり振り返ってみれば、朝、目が覚めて起き上がれるコトからして、毎日、奇跡のような幸運の上にボク達の生活はなりたっています。
そう考えれば、十二分に幸せなはずです。

しかし、「幸せになる」という願いをかなえるためには、一度、わざわざ幸せでない状態にならないといけません。
山の頂上にいるのを望んでいるのに、「頂上に登りたい!」という願いをかなえるために、わざわざ頂上から降りるようなモノです。

少なくとも「幸せになりたい」と思っている間は、絶対にそこにはいけないのならば、まずは「自分は既に幸せなのだ」と思ってみましょう。
自分で言ってみましょう。
すでに頂上にいると、宣言しましょう。

……う~む、理論的にはそうなはずですが、やはり、むず痒い(笑)。

ただ、ハタから見て幸せそうに見えるヒトって、”ないモノ”に目を向けて文句を言うより、既に”あるモノ”に感謝しているヒトのような気がするのですが、いかがでしょうか?